分散型コミュニティ探訪

分散型コミュニティ探訪:MakerDAO - 多担保Daiを支える技術とガバナンスの深層

Tags: MakerDAO, DAO, DeFi, ガバナンス, 分散型コミュニティ, スマートコントラクト

はじめに:MakerDAOコミュニティ探訪の背景

「分散型コミュニティ探訪」ブログへようこそ。今回は、分散型金融(DeFi)の世界で最も歴史があり、かつ複雑な分散型自律組織(DAO)の一つである「MakerDAO」コミュニティに焦点を当てます。MakerDAOは、米ドルにペッグされたステーブルコインであるDaiを発行・管理するプロトコルであり、その運用はMKRトークン保有者による分散型ガバナンスによって行われています。

このコミュニティは、単に技術的なプロトコルを運用するだけでなく、金融リスク管理、オンチェーンでの意思決定、そして現実世界の資産(RWA)を巻き込んだ複雑なエコシステムを構築しています。ブロックチェーン技術に深く関わるエンジニアの皆様にとって、MakerDAOの技術的基盤、ガバナンスモデル、そしてコミュニティが直面している課題へのアプローチは、他の分散型プロジェクトにおける設計や運営のヒントとなる深い洞察を提供すると考えられます。

本レポートでは、MakerDAOの多担保Dai(MCD)システムを支える技術的な仕組み、意思決定を司るガバナンスプロセス、コミュニティの活動の様子、そして彼らが日々取り組んでいる課題について、詳細に掘り下げていきます。単なる紹介に留まらず、その内部でどのような議論が行われ、どのようにシステムが維持・進化しているのか、その深層に迫ります。

MakerDAOの技術的基盤:多担保Dai(MCD)システム

Maker Protocolの中核は、ユーザーが様々な暗号資産(または特定のRWA)を担保として預け入れ、「Vault」と呼ばれるスマートコントラクトを通じてDaiを借り入れる多担保Dai(MCD)システムです。このシステムは、以下の主要なコンポーネントによって構成されています。

Vaultsと担保比率

ユーザーは異なる種類の担保資産(ETH, WBTC, USDCなど)を選択し、それをVaultにロックすることでDaiを生成します。各担保資産には固有のリスクパラメータが設定されており、最も重要なものの一つが「担保比率(Collateralization Ratio)」です。これは、担保資産の価値が借り入れたDaiの価値に対してどの程度高い必要があるかを示す閾値です。例えば、ETHの担保比率が150%に設定されている場合、100 Daiを借りるためには最低でも150ドル相当のETHをVaultにロックする必要があります。

この比率が維持できなくなった場合(市場価格の変動により担保価値が下落した場合)、Vaultは清算の対象となります。

清算メカニズム

担保比率が特定の閾値(例:清算比率120%)を下回ると、Vault内の担保資産は自動的にオークションにかけられ、売却されます。売却された担保資産から、借り入れられたDaiと清算ペナルティが回収され、残った担保資産はVaultの所有者に返還されます。このメカニズムは、Daiの価値を担保によって十分に裏付けるために不可欠です。清算は、Keeperと呼ばれる外部のアクターによってトリガーされ、これは技術的には分散化されたボットやサービスがネットワークの状態を監視することで行われます。

システム安定化モジュール

Maker Protocolには、Daiのペッグ(1 Dai = 1 USD)を維持するための様々なモジュールが存在します。

これらのモジュールは全てスマートコントラクトとして実装されており、Ethereumネットワーク上で動作しています。プロトコルのロジックは複雑で相互に関連しており、リスクパラメータの一つを調整するだけでもシステム全体に影響を与える可能性があります。

分散型ガバナンス:意思決定のプロセス

MakerDAOの最大の特徴であり、複雑さの源でもあるのが、MKRトークン保有者による分散型ガバナンスです。プロトコルのあらゆる重要なパラメータ(担保タイプ、担保比率、安定化手数料、DSR、PSM設定、オラクル設定、システムアップグレードなど)の変更は、ガバナンスによってのみ決定されます。

意思決定プロセスは、主に以下のステップで進行します。

  1. フォーラムでの議論: 提案のアイデアはまずMakerDAOフォーラム(forum.makerdao.com)で共有され、コミュニティメンバー間で広範な議論が行われます。初期のフィードバックを得て、提案内容が洗練されていきます。
  2. Polling(ガバナンス投票): 十分に議論され、形になった提案は、週次のガバナンス投票(Polling)にかけられます。これはコミュニティの意向を測るための予備的な投票であり、結果に拘束力はありませんが、次の段階に進むべきかどうかの重要な指標となります。
  3. Executive Vote(執行投票): Pollingで支持を得た提案、または非常に重要と判断された提案は、拘束力のあるExecutive Voteにかけられます。これは、実際にプロトコルのスマートコントラクトを変更する提案をオンチェーンで実行するかどうかを決定する投票です。Executive Voteは、MKRトークンをスマートコントラクトにロックして投票することで行われます。投票は通常、一定期間(例:数日間)行われ、賛成票が反対票を上回るだけでなく、特定のquorum(最低投票参加率)を満たす必要があります。
  4. 実行: Executive Voteが可決されると、その投票で承認されたスマートコントラクトの変更(Modification)が実行されます。これは、ガバナンスモジュールによって自動的に行われる場合と、権限を持つエンティティ(以前はMaker Foundation、現在は特定のCore Unitなど)によってトリガーされる場合があります。

このプロセス全体は透明性が高く、全ての議論や投票結果は公開されています。特にExecutive Voteはオンチェーンで行われるため、誰でも検証することが可能です。

具体的な意思決定事例

MakerDAOガバナンスの具体的な例としては、新しい担保タイプのプロトコルへの追加が挙げられます。新しい暗号資産やRWAを担保として受け入れるためには、その資産のリスク評価(流動性、価格変動、スマートコントラクトリスクなど)が専門チーム(現在はリスクCore Unitなど)によって行われ、その評価に基づいた担保比率や清算比率、Debt Ceiling(発行できるDaiの上限)などのリスクパラメータが提案されます。これらのリスクパラメータと担保追加の提案は、フォーラムでの議論、Polling、そして最終的なExecutive Voteを経て承認される必要があります。このプロセスは数週間から数ヶ月に及ぶことも珍しくなく、その間にリスクモデルや経済的な影響について詳細な分析と議論が行われます。

また、市場の急変に対応するため、Stability FeeやDSRの調整も頻繁にExecutive Voteによって行われます。これは、短期的な市場状況に応じてプロトコルの経済的パラメータを機動的に変更する必要があるためです。

コミュニティの活動と文化

MakerDAOコミュニティは非常に多様で、世界中の貢献者によって構成されています。コア開発者、リスクアナリスト、エコノミスト、法定通貨の専門家、ビジネス開発担当者、コミュニティマネージャー、翻訳者など、多岐にわたるスキルセットを持つ人々が貢献しています。

活動の中心は、上述したフォーラムでの議論、そして毎週開催される様々なガバナンスコールです。これらのコールは、リスク、プロトコルエンジニアリング、法定通貨資産、コミュニティマネジメントなど、特定のテーマごとに開催され、提案の進捗状況の報告、懸念事項の提起、今後の方向性に関する議論などが行われます。これらのコールも録音され、公開されることが一般的です。

MakerDAOコミュニティのユニークな文化の一つは、「Core Units」と呼ばれる概念です。これは、特定の機能(例:プロトコルエンジニアリング、リスク評価、ビジネス開発)を担う半自律的なチームであり、ガバナンスによって承認され、予算を与えられて活動します。Core Unitsの導入は、大規模で複雑なDAO運営をより効率的かつ専門的に行うための試みであり、分散化を維持しつつ組織的な実行力を高めるための進化的なステップと言えます。各Core Unitは独自の運用方法を持ちつつ、全体のガバナンスフレームワークの中で活動しています。

コミュニケーションは主にフォーラム、Discord、Rocket.Chatで行われ、情報共有と非同期コミュニケーションが重視されています。すべての重要な議論や決定プロセスは、後から追跡可能な形で文書化されることが推奨されています。

直面している課題と未来へのアプローチ

MakerDAOは分散型コミュニティとして、また大規模なDeFiプロトコルとして、様々な課題に直面しています。

これらの課題に対して、コミュニティは継続的な議論、プロセスの改善、新しい技術的・組織的ソリューションの探求を通じて取り組んでいます。例えば、ガバナンス参加を促すためのツール開発やインセンティブ設計、Core Units間の連携強化、リスク評価フレームワークの進化などが挙げられます。

まとめ:MakerDAOコミュニティから学ぶこと

今回のMakerDAOコミュニティ探訪を通じて、私たちは分散型ガバナンスの現実、複雑なDeFiプロトコルをコミュニティ主導で運用する難しさ、そしてその革新性を目の当たりにしました。

MakerDAOは、技術的な堅牢性、金融リスク管理の知見、そして分散型組織としての適応力を兼ね備えようとしています。その意思決定プロセスは時に遅く、理解が難しい場合もありますが、それは多くの異なる視点からの慎重な検討と合意形成を重視していることの裏返しでもあります。

ブロックチェーン技術に関わるエンジニアにとって、MakerDAOの経験は、スマートコントラクト設計におけるレジリエンスの確保、複雑なプロトコルのパラメータ設定と変更管理、オンチェーン・オフチェーン連携によるガバナンスの実現、そして大規模なオープンソースコミュニティを組織し維持するためのヒントに満ちています。特に、Core Unitsのような組織構造の実験や、RWA統合に伴う技術的・運用的な挑戦は、将来の分散型アプリケーションやDAO設計において重要なケーススタディとなるでしょう。

MakerDAOは今も進化の過程にあり、Endgame Planのような大きな変革を議論・実行しています。彼らの歩みは、分散型コミュニティがいかにして自己を組織し、複雑なシステムを管理し、未来を切り開いていくのかを示す、貴重な実例と言えます。


免責事項: 本記事は情報提供のみを目的としており、投資助言ではありません。Maker ProtocolやDaiに関する技術的な情報、ガバナンスプロセス、およびコミュニティの活動は日々変化しています。最新の情報は、MakerDAOの公式ドキュメントやコミュニティチャンネルを参照してください。